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みちのくとの出会い

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私たちがどうしてみちのくへ行くようになったのか、
どうしてみちのくを応援するようになったのか、
まず最初に、そんなことをまとめてみました。

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icon1年目の夏

1993年の夏。そう、"みちのくプロレス"が旗揚げされて最初の夏です。

夫「今年の夏休みはどうしようか?」
妻「そうねぇ、海外旅行?それともどこか温泉に行く?」
夫「・・・(あぁだ、こうだ)・・・」
妻「・・・(あぁだ、こうだ)・・・」
夫「東北を旅しながら、最近できたという"みちのくプロレス"を見たり、 温泉につかったり、なぁんていうのは、どうかなぁ?」
妻「"みちのくプロレス"? わざわざ東北まで行ってプロレス見なくてもいいんじゃない?」
夫「まぁ、そうだねぇ。もっといいアイディアないかなぁ。」
当時毎週買っていた"週刊プロレス"の中で、 なんとなく気になっていた"みちのくプロレス"。
夏休みという機会を利用して見に行くのもいいかなぁ? 、という漠然とした思いもありましたが、 かといって妻の反対を押してわざわざ主張するほどでもない、 そんな存在が私たちの当時の"みちのくプロレス"でした。

しかし、こんなやりとりがあったからでしょうか? 、私たちの"みちのくプロレス"に対する注目が、 少しずつですが大きくなったように感じます。
(1999年4月10日)

icon準優勝

そうした中、私たちが毎週読んでいた"週刊プロレス"から "ビデオ増刊"という形で"みちのくプロレス"を紹介するビデオが発売になる。
あっと驚く1994年の初の東京進出、後楽園ホールの売り上げ金持ち逃げ事件。
"みちのくプロレス50年計画"を語るサスケのインタビュー。
次から次へ、プロレス心をくすぐる仕掛けに私たちの関心が どんどん高まっていきました。

そして決定的な出来事が、
1994年4月16日両国国技館で開催された"SUPER J-CUP 1st STAGE"大会のテレビ中継。

当時、気になるプロレス中継はビデオ録画をして見てました。
ライガーが企画したジュニアの祭典。
なにかと話題を振りまく"みちのくプロレス"からも選手が参加。
と、それなりにはとても気になる大会だったので、 ある程度は楽しみにしてみたのですが・・・。
それは、予想をはるかに超えた内容でした。 見終わると、
はっきり言って涙が止まらないくらい、泣いてしまいました。
今までにテレビ中継には映るはずのなかったジュニアレスラーが、 次から次へ登場することももちろんですが、
(思えば私たちがハヤブサを応援するのはこの時の中継を見たからに違いない。)
"絶対に勝てるわけがないと思っていた ザ・グレート・サスケ"が、ぼろぼろになりながらライガーに勝つ。
だが、世の中そんなに甘いものじゃぁなくて、 最後は決勝にペガサスに負ける。
そして終了後のサスケのインタビュー・・・、
「"みちのくプロレス"を認めてもらうためには、勝たなくちゃいけなかった。」
「そうでないとこんなちっぽけな団体はつぶれちゃうんですよ。」
「明日からも東北の町や村を廻りますよ。」

ここまで私たちの心を動かしてくれるプロレスラーが東北にいる。
「やっぱり自らお金を払ってサスケを応援に行きたい!」
この試合を見たことが 私たちの"みちのくプロレス"に対する心が決まったといって間違いないでしょう。
(1999年4月10日)

icon初観戦

その直後、"週刊プロレス"に東京・練馬で "みちのくプロレス"の大会があるという広告が載りました。
こうなったら行くしかありません。

場所は"東映撮影所の駐車場"という いかにも"みちプロちっく"なところ。
いま考えるとどこかの"売り興行"というものだったと思うのですが、 なぜか"ザ・グレート・サスケ"は試合はなし。
全部でわずか3試合、そしてサスケのトークショーで締め。
が、試合を見たいと言う観客の声に応えて、 急遽スーツ姿のままエキシビジョンを中島半蔵選手とやったり、と。
"みちのくプロレス"の魅力を肌で感じた、じゅうぶん満足の大会でした。

でもでも、やっぱりこれでは中途半端。
ますます"みちのくプロレス"への思いを強くするばかりです。
ここまで来ると、次はもちろん東北まで行かないといけない。
(1999年4月10日)

iconついに矢巾へ

その年(1994年)の7月30日、ついに岩手県の矢巾町まで行ってしまいました。
1年前の夏休みには見送った、
「わざわざ東北まで行ってプロレスを」見てしまったのです。

"ユニバーサルプロレス"に参加していた選手が もう一度集まる
"REUNION「再会」〜ユニバーサル同窓会〜"
という、いかにも"みちのくプロレス"らしい仕掛けがあふれた大会です。
もちろん文句なく楽しめました。
こんな楽しい、そしてすごいプロレスを、 岩手県の矢巾町といういままで聞いたこともない東北の町でやっている。
なぜ?
本当に信じられない
と、いうのが正直な感想でした。
(1999年4月10日)

iconみちのくの魅力

その後の観戦は、"みちのく年表"に書いてある通りです。
なかなか遠くて行けないけれど、あらためて数えると 出稼ぎシリーズを含めて1年に3〜4回平均は生で観戦していますね。
どうして私たちはこんなに通うようになったのでしょうか?
あえて理屈を考えると、

●「東北を50年かけてルチャの都にしよう」という選手全員の気持ち
選手全員が"みちのくプロレス"を東北に根づかせようと考えていることが、 本当に伝わってきます。
だからこそ、
人生の「心はみちのくにあり」や、
TAKAの「みちのくはつぶれてもらっちゃぁ、困るんだよ」という、
発言がでてくるのでしょう。

●世界中に通じる技と楽しさ
プロレスを知らない私たちの友人を連れていっても、 いっぺんで"みちのくプロレス"を好きにさせてしまう楽しさがあります。
そして繰り出す技は、世界中で通じる。 事実、新崎人生をはじめ、海援隊★DXのメンバーたちが、 アメリカのメジャー団体にスカウトされ参戦もしています。

●それをたった3,000円強で最前列でみることができる
早く並べば必ず一番前で見ることができる。
ロープを超えて目の前に選手が飛んでくる、 手を出すと選手が握手してくれる、 東京ドームにも良さがありますが、 たとえ4〜5万円のリングサイド席に座っても こんなに選手は近くありません。

こうして、"みちのくプロレス"の虜になってしまった私たちが 家でHOMEPAGEをつくろうとなった時、 最初に掲げたテーマがこの"みちのくプロレス"です。
私たちの勝手な考えでつくってはいますが、 このHOMEPAGEを見て、 実際にみちのくへ行ってみる人が一人でも増えるとうれしいと、思っています。
たとえば東京からいくことを考えると、 最初は、とても遠いところに行くのではないか、 と思い、なかなかその気になれません。
でも、実際は簡単。
1泊2日東北旅行に行くんだけど温泉とおいしいものを食べて "たまたまプロレスがやっているので見てみよう"、 というぐらいの気持ちで行けばじゅうぶんだと思います。
仮にいままで一度もプロレスを見たことがない人でも、 "生"で見る"みちのくプロレス"は、きっと楽しいはずです。

この「みちのくへ行ってみよう!」を参考に ぜひ一度"みちのくへ行ってみて"ください。
(1999年4月10日)


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